スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

6月初めの日記

(6月1日/2014)

 列島各地で猛暑日が記録された、とても暑い日。ここ知多半島でも連日の30℃超え。
 今日は月に一度のよさみガーデンマルシェの日だが、今のところ土曜の栄オアシス朝市と連日の販売は対応不可能な状況。今月もまたお休みをさせていただく。
 それでも、自然養鶏のたまご屋さんにエサ用のシイナ(クズ米)を届けたり、奥三河のユキさんに作ってもらっている米ぬか石けんを仕入れ(合わせてマキさんの焼き菓子も仕入れ♪)にマルシェへ出向く。
 そして、最近取り引きを始めた、同じ刈谷市内にあるたこ焼き屋さんに所用で立ち寄り、初めてそのたこ焼きを買い求める。しょうゆ味の美味しいたこ焼き。

 うちの育苗ハウスの前の畦に桑の木が生えている。まだ3年生ほどの若木。自然に生えてきたものだ。
 今年はけっこう実を着けている。雑草とともに生えてくる桑の木は、じつはこの桑の実、マルベリーが目的で刈らずにおいておいたのだ。
マルベリー
 この甘い果実は野鳥も好んで食べ、糞と一緒に種をばらまいているのだろう。あちこちから桑の木が生えるのだ。
 今はまったく無くなってしまった養蚕。その名残りなのか、元々野生の桑が自生していたのか。
 そして桑の木ならどれも同じく甘くて美味しい実を成らすのかというとそうでもなく、生えている土地の違いや遺伝的な系統の違いもあるのだろう。子どもが幼いころ、どの木が美味しいかを探して、桑の実狩りをしたものだ。
 うちの畑にはまだ他に2、3本、切らずに残してある桑の木がある。さてどの木が「当り」になるか!?

 では、鳥たちではなく(!?)人間が植えたベリーの木たちはどうだろう。
 ブルーベリー。ちゃんと実を着けている。
ブルーベリー
 昨年は販売できた量がわずかだったので、今年はもっとたくさん穫れるといいな~!

 ラズベリー(木いちご)も実を着けていた。
ラズベリー
 まだ2年目の木だからか、少ししか着いてない。

 ところで、桑の木同様、あちこちに自生していて食べられる実が成る木がもうひとつある。
 ヤマモモの木。畑の前の道路端に何本も大きな樹があって、毎年たくさんの赤い実を着ける。今はまだ未熟だが、もうしばらくすると熟れた実が自然に落果してアスファルトの路面が真っ赤に染まっている、なんていうことがあちこちで見られるようになる。
やまもも
 ヤマモモの実は果肉がほんの少し。人が食べるとなると、口の中に放り込んでから堅いタネの周りの薄い果肉を舌ではぎ取るといった程度。甘くておいしいけれど、そのまま食べるよりもリキュールに漬けるとかした方が、より楽しめるのかも。

 さて、さて、こんな天気でいつ入梅になるのかわからない6月を迎え、冬からずっと忙しかった葉菜類の出荷が一段落着いた最初の日曜日、いつもよりちょっとペースダウンして、こんなふうに周りを見回してみての、田舎暮らしのささやかな楽しみの一端を綴ってみた。

 そして・・・
 イチゴの葉っぱにぶら下がっているクモの抜け殻を見つけた。
蜘蛛の抜け殻
 百姓にとって肉食系のクモは益虫の代表格。ぼくも大事にしてる。畑には、いや家にも軽トラックの中にも多種多様なクモは居て、けっしてわざわざ殺したりはしない。
 ぼくはクモを見ると時々、思い出す人がいる。ぼくより一つだけ年上の学生時代の友人。クモに魅せられ、学会に属して研究もしていたような男だ。京大の理学部出身というエリートなのに、世俗的な価値観からすれば、いわばドロップアウトして、アジア各国の人権問題に取り組むNGOに職を得て、その後、東日本大震災後は東北に移り住んで子どもたちに自然学習的な経験を与えるような活動を続けていた。そんな生活をしながらも傍らにはいつもクモがいたらしい。(クモが苦手な人には想像すらできないことだろうけど)
 過去形で書いたのは、昨日から故人になってしまったから・・・。
 そう、あまりに突然の彼の訃報。けれども、いつかそのうち、また飲みながら語り合う機会もあるだろうと漠然と思っていたくらいで、何年も会っていないので余計に実感がわかないでいる。
 学生時代には彼とともに、豊かな日本社会の底辺で、差別や貧困の中で生きる人々の存在を知り、その歴史や現実を目の当たりにする経験を得た。大都市・京都のスラム街とも言える在日韓国朝鮮人の暮らしている現場へ、あるいは、「観光コースではない沖縄」を旅して、基地の町や生々しい戦跡、らい病と呼ばれて激しい差別の中にあったハンセン病者の隔離収容施設を訪ね歩いたり…。
 初めて彼と会ったのは、信州の山の中にある障害者の入所施設だった。そこで企画されたボランティアキャンプ。自然環境の豊かな中で暮らす障害をもった人々。それはけっして美しいものや幸せなものではなく、とどのつまりは「隔離・収容」でしかないという現実。ではそこへ「ボランティア」として出向く我々はいったい何者? われわれが知るべきこと、考えること、そしてなすべきことはなにか…。今思えば青臭くも熱い議論をしたものだった。
 ハンセン病の歴史や現実を学ぶことになったとき、真っ先に読んだ本のタイトルは、「差別者のボクにささげる」だったかと思う。今もわが家の本棚を探せばどこかにあるはず。
 自らを「差別者」として規定すること、思い知ることからアイデンティティを立て直すこと…苦しいし、ややこしくてやっかいだけれど、若い純真さのゆえ生真面目にそんなことを考えていた。どうあがいても学生の身、しょせんは頭でっかちだったろうけれど。
 その後、彼とはまったく違う道を歩むことになったけれど、けっきょく、多少なりとも今に続く若いころのいとおしくも貴重な時間と原点的な体験。そこに彼の存在は欠かせないものであったと思う。まだまだたくさん思い出せることがあって、こんなこと綴りながら、夜の京都の街、飲み屋と古びた下宿。そのにおいが鼻の奥でかすかににおった気がした。

 おい、抜け殻を残していったい今度はどこへ行くというのかい…






関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

ふき村・黒田農園

Author:ふき村・黒田農園
知多半島の真ん中、武豊町冨貴(ふき)地区で有機農業をやってます。
「一人農業」で畑も田んぼも…農薬や化学肥料を使わず日々キリキリ舞いしながら、でも適当に手を抜きながら?「ぐうたら」と開き直って、少しでもおもしろおかしく暮らしたいな…。
・・・と呑気な「一人農業」から一転、現在は3人の農業研修生を受け入れ、日々にぎやかに奮闘中?!
★連絡先はホームページにて
 (リンクからアクセス⇒⇒)

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。